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東京高等裁判所 昭和49年(う)910号 判決 1976年7月20日

主文

原判決中被告人西山に関する部分を棄却する。

被告人を懲役四月に処する。

本裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。

原審及び当審における訴訟費用の二分の一を被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、東京地方検察庁検察官検事伊藤栄樹提出の控訴趣意及び東京高等検察庁検察官検事増山登提出の控訴趣意補充書記載の通りであり、これらに対する答弁は、弁護人伊達秋雄、同高木一、同大野正男、同山川洋一郎、同西垣道夫連名提出の答弁書及び答弁補充書記載の通りであるので、いずれもこれを引用する。

本件控訴の趣旨は、互に相関連する多岐にわたる理由をあげ、原判決に法令の解釈適用の誤りがあると縷縷論難しているものであるが、その骨子は、原判決が、本件そそのかし行為によりその漏示がしようようされた秘密は、その漏示に対し刑事罰をもつて臨むに値する実質秘に当たるものであること、被告人の本件所為が国家公務員法(以下国公法と略称)一一一条所定の同法一〇九条一二号の所為の「そそのかし」の構成要件に該当すること、及びその漏示のしようよう行為が、新聞の公共的使命を全うしようという目的をもつてする取材目的でなされたが、その手段方法について相当性に欠ける点があつたことを認めながら、本件しようよう行為によつて外交交渉の能率的効果的遂行が阻害される危険の程度が、右のしようよう行為によつてもたらされる国民的利益や将来の取材活動一般によつて支えられる国民的利益をりようがしていないとの判断を加え、この利益の比較衡量及び目的の正当性の程度を考慮に入れれば、本件しようよう行為は、正当行為性を帯びるといい得る程度のものであるから、結論として、被告人西山の行為が、正当行為に該当しないという点の証明がないことになるとして、被告人に無罪の言い渡しをしたものであるところ、所論指摘の各点において、原判決は、法令の解釈適用を誤り、罪となるべき行為を無罪としているものであるから、原判決を破棄のうえ、適正な判決を求めるというに尽きるものである。

所論に鑑み調査してみると、所論は、国公法一一一条所定の同法一〇九条一二号の行為を「そそのかす」罪の「そそのかし」の意義について原判決の示した解釈(原判決六一・六二頁)を前提とし、その解釈について論難はしていないが、右「そそのかし」の意義について原判決の示した解釈は、広きに失し不当であり、原判決には、先ずこの点において、法令解釈の誤りがあり、ために、結局は所論が誤りとして指摘する法令の解釈適用が招来された節もあると思料されるので、この点につき、先ず職権で判断を示すこととする。

一原判決は、国公法一一一条所定の同法一〇九条一二号の行為の「そそのかし」の意義につき「国公法一〇九条一二号、一〇〇条一項所定の秘密漏示行為を実行させる目的をもつて、当該公務員に対し、右行為を実行する決意を新たに生じさせるに足りるしようようをし、これにより相手方である当該公務員が新たに実行の決意を抱いて実行に出る危険性のある行為を意味すると解釈する。従つて右要件に該当する限り、実際に相手方が秘密漏示行為を実行しなかつたとしても、又しようようの時点で予想されていた秘密が成立するに至らなかつたとしても、更には相手方が新たに実行の決意を抱くに至らず若しくは既に生じている決意が助長されるに至らなかつたとしても、右のそそのかしの成否には影響がないと解すべきである。そしてこのように解したとしても前記各条項が憲法二一条、三一条に違反するものではないと考えるのが相当である。」と判示しているが、国公法一一一条、一〇九条一二号の「そそのかし」罪が、右一〇九条一二号所定の秘密漏示罪の独立教唆犯であること、右の「そそのかし」罪と同種の独立教唆犯を処罰する他の法令との対比上、国公法一一一条、一〇九条一二号の「そそのかし」は、一〇九条一二号の罪の従属教唆犯と同程度の危険性の強度な独立教唆行為のみを処罰の対象としていると解せられること、そして、そのように解しない限り、秘密を国家公務員から取材する報道機関の適正な範囲の取材行為も右「そそのかし」罪に該当することとなり、国公法一一一条、一〇九条一二号の条項が、憲法二一条、三一条に違反する疑いが濃厚となること、国公法一一一条、一〇九条一二号は、国家秘密それ自体を保護するためのものではなく、守秘義務のある公務員に対する外部からの働きかけをも規制して、公務員を保護するためのものであつて、その間接効として国家秘密が保護されるものであることなどの理由から、国公法一一一条、一〇九条一二号の行為の「そそのかし」とは、同法一〇九条一二号、一〇〇条一項所定の秘密漏示行為を実行させる目的をもつて、公務員に対し、右行為を実行する決意を新たに生じさせてその実行に出る高度の蓋然性のある手段方法を伴い、又は自ら加えた影響力によりそのような蓋然性の高度な状況になつているのを利用してなされるしようよう行為を意味すると、限定解釈すべきものと当裁判所は解するのであり、以下その解釈につき説明を加えることとする。

(1)  原判決が「そそのかし」についてした解釈は、本来処罰の対象とされていない争議行為などの参加者たる公務員に、原動力としての「そそのかし」を禁止している国公法一一〇条一項一七号にいう「そそのかし」についての解釈と同旨のものとみられるが、右一〇九条一二号の秘密漏示行為が独立した犯罪である点で違いがあるうえ右一一〇条一項七号の「そそのかし」と、一一一条、一〇九条一二号の「そそのかし」とを同旨に解さなければならない必然性は、法文上も、立法時の公の資料上も存在していない。

(2)  国公法一条五項に鑑みても、同法一一一条、一〇九条一二号の「そそのかし」罪の存在により、同法一〇九条一二号、刑法六一条の従属教唆犯の規定の適用が排除されるものとは解されないから、国公法一一一条にいう一〇九条一二号の行為を「そそのかす」罪は、独立教唆犯と解せられる。

(3)  国公法一一一条、一〇九条一二号の独立教唆犯と同種の罪を定めている他の法令をみてみると、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法(以下刑特法と略称)七条二項所定の六条一項、二項の罪の独立教唆犯についての法定刑が五年以下の懲役であるのに対し、六条一項、二項の正犯者の法定刑は一〇年以下の懲役、日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法(以下秘密保護法と略称)五条三項所定の独立教唆犯の法定刑が三条一項の罪で五年以下、同二項の罪で三年以下の各懲役であるのに対し、正犯者の法定刑は、三条一項の罪で十年以下、同二項の罪で五年以下の懲役となつており、刑特法七条三項、秘密保護法五条四項には、刑法六一条の教唆犯の規定の適用を排除するものではない旨の定めがあるから、独立教唆犯が、従属教唆犯より軽く処罰される法制になつているのであるが、国公法一一一条のそそのかし罪の法定刑は、一〇九条一二号の正犯者の法定刑と同一であることに鑑みれば、同法一一一条所定の一〇九条一二号等の行為をそそのかす罪は、一〇九条一二号の正犯者が実行行為に出た場合の従属教唆犯と同程度の危険性の強度な教唆行為のみを処罰の対象としているものと解せられる。

(4)(イ)  「報道機関の報道が正しい内容をもつためには、報道の自由とともに、報道のための取材の自由も憲法二一条の精神に照らし十分尊重に値する」(昭和四四年一一月二六日大法廷決定・刑集二三巻一一号一四九〇頁)ことは当然であるところ、報道の範囲は、取材の範囲より広いことはありえないのであり、法律で、取材の自由を無制限に制約することが許されるとすると、報道の自由に対し、憲法二一条の保障があるといつてみても、その自由は、有名無実のものとなり、新聞などの報道を通して、国民が、国政についての多くの情報に接し、国民の信託によるものである国政の運営に関し、その是非を判断し、議院内閣制をとる憲法機構の下で国会議員の選挙などを通して、その判断を国政の運営に反映させる国民の能力が、実質的に損なわれるに至るおそれなしとしないのであるから、国家が、報道機関の取材活動を無制限に制約することが許されないという意味での取材の自由というものもまた、憲法二一条により保護される自由の範疇に属するものである。しかし、憲法上保護されているとはいつても、取材の自由は、消極的自由にとどまるのであり、取材の対象たる公務員に、その取材に応ずべき義務を課するという意味での、強制可能な積極的権利としての、取材の特権が、報道機関に対し、憲法上保障されているものではない。したがつて、公務員を対象とする取材活動に対し、公人として、あるいは個人として、公務員が協力するかどうかは、全く公務員の自由な意思に委ねられているのであり、公務員が取材に協力しないこと、あるいは、公務員に守秘義務を課し、その違反者に刑事罰を定める国公法一〇九条一二号、一〇〇条の存在していることを目して、取材の自由を制約するものと観念することは許されない。

(ロ)  国政の運営に関する情報が国民に知らされることを原則とする先進民主主義国家においても、国政の運営に関し、秘密にされて然るべき事項がありうることは、否定し難い現実であり、なかんずく、最少限度必要な国防上の秘密、国政の運営につき責任ある地位にある内閣が、政策決定をなすに至つた過程でなされた部内での討論内容についての秘密、外交交渉の過程で、交渉当事者間で交された主張と反論、外交上の合意に至る過程でなされたかけひきや互譲の程度についての秘密などが保持されなければ、国政の能率的運営に支障を生ずることがありうることは言うをまたないところである。そして、国政の運営についての特定の種類の情報に、秘密の指定をし、公務員に、正当な手続を経ずして、これを漏示することを許さないゆえんのものは、国政の能率的運営に資するためであり、国民の信託によるものである国政の運営を能率的に行なうことは、国民の公僕である公務員の対国民的義務であることに鑑みれば、国公法一〇〇条に定める公務員の守秘義務も、対国民的義務である。

(ハ)  民主主義国家においては、国民は、政府の公式発表とは別なチヤンネルから、現に政府が何を行なつているのか、その遂行しようとしている政策はどんなものであるかを知ることを通して、国政の運営の是非を判断し、これを代議制民主主義の機構を通じて、国政の運営に反映させる固有の憲法上の権利を有するのであつて、民主主義社会における報道機関の主たる役割の一つは、国政の運営について、政府が公式に発表し、または非公式に開示する以外の情報、つまり、政府のコントロールをうけない情報をも、国民に提供することにあるのであり、憲法二一条が、言論、出版その他一切の表現の自由を保障したうえ、その第二項に「検関は、これをしてはならない。」と定めているのも、時の政府に不都合な報道の抑止を禁止し、政府のコントロールをうけない情報の自由な流通を保障しているものであると解せられる。

(ニ)  したがつて、報道機関の取材の自由が、消極的自由であるとはいうものの、公務の秘密につき公務員から取材するため、公務員に秘密の漏示をさせようとする取材活動を、取材活動として社会通念上許容される範囲を顧慮することなく、すべて一律に、国公法一〇九条一二号の行為をそそのかしたものとして処罰の対象となるものと同法一一一条を解釈するならば、同条は、憲法二一条に反し、違憲無効のものとなることを免れないのであるが、立法時の公の資料を調査してみても、公務員に対する秘密漏示のしようよう行為のうち、報道目的をもつてする取材活動の範囲内にあるものまで、国公法一〇九条一二号の行為をそそのかす罪として処罰する趣旨で同法一一一条が立法されたことを示す証跡はない。

(ホ)  前述のように、近代民主主義国家における報道機関は、国政の運営についての正確な情報を国民に提供することを、その社会的使命の一つとしており、政府の公式発表や、政府当局者が非公式に開示する情報が、時の政府に好都合な情報の提供にとどまり、時の政府に都合のわるい情報を秘匿するよう政府が情報をコントロールしているのではないかとの疑惑をもつて、他の情報源を取材の対象とすることは日常行なわれているところであるが、国政の運営に関する情報の取材源の主なものは、政府関係者、特に公務員であるところ、公務員には、国公法一〇〇条、一〇九条一二号により、守秘義務が課せられているから、公務員が秘密についての取材に喜んで応じうる立場にないことは当然であり、公務員からその職務上知りえた秘密について取材をするには、秘密の漏示をしようようする挙に出ない限り、取材目的を達成することが不可能な場合が多いことは自明のことである。

原判決のように、国公法一一一条所定の同法一〇九条一二号の行為の「そそのかし」を「秘密漏示行為を実行する決意を新たに生じさせるに足りるしようようをし、これにより相手方である当該公務員が、新たに実行の決意を抱いて実行に出る危険性のある行為を意味する。」と解釈するにおいては、取材に喜んで応ずる立場にない公務員に対し、秘密漏示行為を実行する決意を新たに生じさせるに足りるしようようをしない限り、かつまた、公務員が新たに実行の決意を抱いて実行に出る危険性のない限り、秘密情報を取材することが不可能であることに鑑みれば、国政の運営についての報道をするために国家秘密を取材する活動は、すべて右の「そそのかし」罪に当たるかということになりうる可能性なしとしないのである。

(ヘ)  国家秘密とされている情報の報道自体を抑止する法律は、現行法には存在していないのであるが、国公法一一一条所定の同法一〇九条一二号の行為のそそのかしの概念を、原判決のように広義に解するにおいては、報道目的でする秘密情報の取材行為が制約をうけ、その結果、国家秘密とされている情報について、政府のコントロールをうけることなく報道することそのものが、不可避的に抑制されることになる効果が生じ、ひいては、憲法二一条の保障が著しく損なわれることになりかねないから、公務員に対する秘密漏示のしようよう行為のうち、報道機関の適正な取材活動として憲法上保護されているものを、国公法一一一条所定の同法一〇九条一二号の行為のそそのかし罪の規定の適用の範囲外におく合憲的な限定解釈が加えられ、構成要件として明確な限定がなされることが必要である。

(ト)  原判決のごとく、広義の解釈を採りながら、個々の事案ごとに刑法三五条の正当行為、あるいは、他の違法阻却事由にあたるか否かの判断をすることとし、漏示されまたは漏示の予想された秘密の価値の程度と、その漏示を通して得られる利益の程度の衡量という煩瑣でともすれば客観性に欠け、恣意的判断に陥りやすい手法をもちこむことは、司法判断の方法として好ましくないばかりでなく、報道目的のための取材活動として公務員に対し秘密漏示をしようようする行為の、どの範囲のものが犯罪として処罰されるかについての基準が不明確となり、可罰性についての客観的判定基準の予測が困難になるから、構成要件の不明確な場合と同様、憲法三一条に違反する疑いが濃厚である。

(5)  以上述べた諸点を考慮に入れて、国公法一一一条所定の同法一〇九条一二号の行為の「そそのかし」罪の意義を解釈してみると、一般的にいえば、前述したように、右にいう「そそのかし」とは、同法一〇九条一二号、一〇〇条一項所定の秘密漏示行為を実行させる目的をもつて、公務員に対し、右行為を実行する決意を新たに生じさせてその実行に出る高度の蓋然性のある手段方法を伴い、または自らの影響力によりそのような蓋然性の高い状況になつているのを利用してなされるしようよう行為を意味すると解すべきである。そして国政の運営についての情報を国民に提供するという報道機関の使命を全うするためにする取材活動として、公務員に対し秘密の漏示をしようようする行為のうち、どの範囲のものが右にいう「そそのかし」に当たるかにつき、右の概念をあてはめてみると、取材の対象となる公務員が、秘密漏示行為に出るかどうかについて、自由な意思決定をすることを不可能とする程度の手段方法を伴つてなされる秘密漏示行為のしようよう行為、及び取材者の加えた影響力により、取材の対象となる公務員が、秘密漏示行為に出るかどうかについて、自由な意思決定をすることが不可能な状態になつていることを認識し、その状態を利用してなされる秘密漏示行為のしようよう行為が、これに該当するものと解せられる。これらのしようよう行為は、公務員の守秘義務に反した秘密漏示行為が必ずなされるという弊害を招来する高度の蓋然性をもつものであるが、当審取り調べの証拠によれば、右のような手段方法を伴い、または、右のような状況を利用してなされるしようよう行為は、秘密情報の取材行為としては、例外的なものと認められるからこの種しようよう行為を国公法一一一条、一〇九条一二号による処罰の対象としても、国家秘密と指定されている情報を入手する取材の方途が絶たれるわけではないし、また、将来の取材活動一般に禁圧的効果が及ぶものでもない以上、憲法二一条に違反するものではない。

検察官は、控訴趣意補充書(二、三頁)で「国公法一一一条の『そそのかし』とは、国公法一〇九条一二号、一〇〇条一項所定の秘密漏示行為を実行させる目的をもつて、一般職国家公務員に対し、当該公務員においてその行為を実行する決意を新たに生じさせるに足りるしようよう行為をすることを意味するものと解する。したがつて、例えば、右しようよう行為が暴行、脅迫などの犯罪を構成する行為である場合はもちろん、金銭その他をもつて誘導し、相手方の弱点ないし困惑に乗じ、又は偽計を用いるなど、相手方の意思決定に不当な心理的影響を与えるような方法を用いる場合においては、一般に相手方をして秘密漏示の実行の決意を新たに生じさせるに足りるものと評価できるので『そそのかし』の構成要件に該当するといえる。」と主張しているのに対し、弁護人は、その答弁補充書(六〇ないし六二頁)中において右「そそのかし」についての検察官のいう定義自体については、「全く同意見である」としたうえ、「不当な心理的影響を与えるというような方法を用いる場合という価値規準を導入して、右本来のそそのかしの行為概念を限定しようとしている点には、論理の重大な飛躍があり」「不当な心理的影響とは何かを具体的に決定することは極めて困難であり構成要件を不明確ならしめ、恣意的な判断に陥らしめる危険が大きい。」旨反論し、加えて、「公務秘密の実情をみてくると、取材活動を自ら規律しているもの、取材の常態を画するものがあるとすれば、それは取材の当然の前提ともいえる取材源、取材対象者の自由意思を否定する取材は許されていないということであり」(同一一六頁)、「公務員の自由意思を制圧しない限度内の取材活動は、通常の取材活動として正当業務行為の一つに入る。」(同一五一頁)旨主張している。当裁判所は、国公法一一一条所定の同法一〇九条一二号の行為の「そそのかし」罪にいう「そそのかし」の意味を限定的に解釈し、これを、目的において正当な報道機関の取材活動としての、秘密漏示のしようよう行為にあてはめ、右の「そそのかし」罪に当たるしようよう行為を限定したのであるが、その限定によれば、弁護人のいう常態としての取材活動として、正当業務行為の範疇に入ると主張されているものである秘密漏示のしようよう行為は、その秘密保護の必要性の程度の高低を問わず、構成要件的に、右の「そそのかし」罪に該当しないこととなるのであり、「そそのかし」罪の構成要件に該当する秘密漏示のしようよう行為の範囲は、検察官がいう「相手方の意思決定に不当な心理的影響を与えるような方法を用いる場合」よりも、より限定的なものであつて、弁護人のいう「取材対象者の自由意思を否定する取材」の類型の秘密漏示のしようよう行為だけが、右の「そそのかし」罪の構成要件に当たるものであるから、この構成要件に該当する行為については、違法性が阻却される余地は、後述する特段の個別的事情が加わらない限り存在しないものと解せられる。

なお、右の限定解釈の下で、国公法一一一条、一〇九条一二号の犯罪の成否に関連する諸点については、以下に述べることとする。

(6)  右に述べた限定的に解釈した「そそのかし」罪に当たる秘密漏示のしようよう行為があつても、漏示をしようようされた秘密が、国公法一〇九条一二号、一〇〇条一項にいう秘密に当たらない場合には、国公法一一一条所定の同法一〇九条一二号の行為の「そそのかし」罪に当たらないことは当然であり、右一〇九条一二号、一〇〇条一項にいう秘密とは、その漏示に対し、右一〇九条所定の刑事罰をもつてのぞみ、その保護をするに価する秘密、つまり実質秘と解せられるのであるが、漏示をしようようされた秘密が、右一〇九条一二号、一〇〇条一項の秘密に当たり、かつ、秘密漏示のしようよう行為が、右に述べた限定解釈にいう「そそのかし」に該当する限り、同法一一一条所定の一〇九条一二号の行為の「そそのかし」罪が成立するのであつて、漏示をそそのかされた秘密が実質秘に当たる以上、その秘密保護の必要性の程度の高低は、右の「そそのかし」罪の成否に影響を与えるものではない。更に、秘密漏示を「しようよう」する取材行為のうち、取材の対象者が秘密漏示行為に出るかどうかについて、自由な意思決定を不可能とされる程度の手段方法を伴つてなされるもの、及び取材者の加えた影響力により取材の対象となる公務員が、秘密漏示行為に出るかどうかについて自由な意思決定をすることが不可能な状態になつていることを認識し、その状態を利用してなされるものが、右「そそのかし」罪に該当すると解されるにとどまるのであり、換言すれば、その手段方法態様において極度に相当性を欠如するもののみが、右「そそのかし」罪に該当するものであるから、前記の限定解釈をとる限り、当該そそのかしによつて生ずる利益と秘密の保護の利益との比較衡量を考慮に入れれば、手段方法の相当性欠如の程度が、なお正当行為性を帯びるといいうる程度のものであるか否かという原判決のような判断過程(原判決八〇頁)をたどる余地は原則として存在しないものである。

(7)  国公法一一一条が、国家公務員以外のものをも処罰の対象とする罪則であることに鑑みれば、同法一一一条に、一〇九条一二号の行為の「そそのかし」罪が設けられている目的は、第一義的には、前述した極度に相当性を欠如する外部からの働きかけを処罰することを通して、守秘義務のある公務員を保護することにあり、その結果として、国家秘密が保護されるという間接の効果が期待されているものと解せられる。したがつて、漏示の対象となる秘密が同法一〇〇条一項にいう秘密に当たる限り、秘密保護の必要性の高低は、そそのかし罪の成否に影響を及ぼすものではないし、また、漏示者が、例えば、外交交渉担当者や交渉関係者であろうと、また、原審相被告人蓮見のように機械的事務担当者であろうと、その差異は、そそのかし罪の成否に何ら影響を及ぼすものではない。また、報道機関の正当な取材目的でなされた公務員に対する秘密漏示のしようよう行為が前述した限定解釈にいう「そそのかし」に当たる場合においては、漏示された文書などが、即時そのまゝの形で報道される可能性の有無や、またその報道により公務の能率的運営が現実に阻害された程度の大小が、そそのかし罪の成否に何ら影響を及ぼすものでないことは、言うをまたないところである。

(8)  秘密指定権を有する公務員は、その担当する国政について、秘密情報を含む各種の情報に精通し、担当する国政についての専門的知識と経験とを保有しているからこそ、特定の情報に秘密の指定をしないと国家の利益がどの程度害せられるか、公務の能率的運営がどの程度阻害されるか、特定の情報を秘匿する利益がその情報を国民に開示する利益をりようがするかどうかについての判断能力を有するのである。

近代民主主義国家において、指定秘とされる情報は、その漏示が国家の利益に反するとの判断により秘密とされる真正な秘密でなければならないが、稀には、国家の利益のためにではなく、時の政府の政治的利益のため、特定の情報を秘匿する目的で秘密指定がなされることがありうるのであり、前者は「真正秘密(true secret)」、後者は「擬似秘密(false secret)」と呼称される。ところで、真正秘密と擬似秘密との間に明確な一線を画することは容易ではなく、他の関連する秘密情報との関係において、はじめて両者を区分することが可能であるものであり、したがつて、他の関連する秘密情報に精通する立場にある公務員において、両者を見分けることが可能であるにすぎない場合が多々あることは、当然のことである。これに反し、報道機関は、国政についての多くの情報に接するとしても、国政についての秘密情報のすべてに精通しうる立場にないのであるから、秘密指定をうけている特定の情報が擬似秘密であるかどうかにつき断定的判断をするについて、最良の判断者の立場にありうるわけではない。それにもかかわらず、近代民主主義国家においては、その秘匿が国家の利益のためではなく時の政府の政治的利益のためのみ秘匿される擬似秘密であると判断した情報を取材し、これを国民に知らせることが、報道機関の最も重要な公共的使命の一つと一般に考えられていることも事実であるが、前述のように最良の判断者の立場にありうるわけではない報道機関が、特定の秘密を擬似秘密だと判断したからといつて、それが本来真正秘密である場合、真正秘密でなくなるわけではないし、また、報道機関は、すべての秘密情報を国家と共有しうる立場にない以上、報道機関が、特定の秘密が擬似秘密かもしれないという疑惑を抱いた一事では、それが真正秘密かもしれないという未必的認識を払拭するに足りないものであるから、その漏示のしようよう行為が当裁判所の加えた限定解釈の下で、「そそのかし」に該当する手段方法態様でなされた場合、国公法一一一条、一〇九条一二号の罪が成立するのは当然である。ただ例外的に、その漏示のしようようの対象となる秘密が、擬似秘密であると主観的に判断したことについて、確実な資料や根拠に照らし相当の理由があると客観的にも肯認しうる場合には、その漏示のしようよう行為が、当裁判所の加えた限定解釈の下で「そそのかし」に当たるとしても、「秘密」の点につき、確定的及び未必的な認識を欠くものとして、国公法一一一条、一〇九条一二号の罪が成立しない場合がありうるのである。

擬似秘密の中には、政府が憲法上授権されていない事項に関し行動したことを秘匿するための秘密指定のなされるものが想定されうるのであり、この種のものを「違法秘密」と呼ぶとすると、報道機関において、特定の秘密が違法秘密かもしれないとの疑惑をもち、かつ、それが違法秘密であるとすると、その情報の内容上、同法一一一条にふれる手段方法態様を用いてでも、緊急に取材して報道しないと、現憲法機構が瓦解または崩潰しかねない程に重大なものであると信じて行動したことに、それ相当の理由があつたと認められる場合にはその情報が真正秘密でありうるかもしれないという未必的認識が払拭されていなかつたとしても、その取材と報道とによつて守られる利益の重大さ、緊急性、補充性についての主観的認識が客観的にも肯認されるのであれば、同法一一一条、一〇九条一二号の罪について、個別的に違法性が阻却され、刑事免責がなされる余地がないわけではない。

二次に、本件公訴事実となつている各しようよう行為が、国公法一一一条所定の一〇九条一二号の行為の「そそのかし」罪につき当裁判所の右に示した解釈の下で、右「そそのかし」罪に当たるかどうかについて、職権で判断することとする。

(1)  原審及び当審取り調べの証拠によれば、(イ)原審相被告人蓮見は昭和四五年七月二七日から、同四七年四月五日免職されるまでの間安川壮外務審議官付外務事務官として、一般秘書業務に従事し、同審議官に回付または配付される文書の授受、整理及び保管という職務を担当しており、同審議官に回付または配付される文書中には、秘密指定のなされた文書が数多く含まれていたから、秘密指定のなされた文書の内容をも職務上知ることができる地位にあつた一般職国家公務員であつたこと、(ロ)被告人西山は、昭和四六年二月から同四七年二月までの間、毎日新聞社政治部記者として、沖繩返還交渉を中心とする外交全般に関する取材活動に従事し、安川審議官のところにもしばしば取材のため訪れていたが、同四六年五月一八日、従前それほど親交があつたわけではなかつた右蓮見と一夕の酒食を共にしたうえ、同女と肉体関係を結んだこと、(ハ)肉体関係もできたので頼めば役所の書類を見せてもらえるのではないかと考えた被告人西山は、土曜日であつた同月二二日、東京都渋谷区松濤一丁目四番九号所在の「ホテル山王」において、同女と再び肉体関係をもつた直後、同所で、同女に対し、「取材に困つているので助けると思つて安川審議官のところにまわつてくる書類を見せてくれないか」「沖繩返還交渉と中国代表権問題に関する書類を安川審議官のところから持ち出して見せてもらいたい」という趣旨の依頼をして懇願し、一応同女の承諾をえたこと、(ニ)月曜日であつた同月二四日、被告人西山は、同女に「たのむぞ、何とかしてくれ、ニユーオータニの玄関でまつていてくれ。」という趣旨の電話をかけ、書類を安川審議官のところから持ち出すことを一時ためらつていた同女に決断を促し、同日夕刻、同女が安川審議官あてに回付された書類のうち基地リストを含む沖繩関係の秘密書類を持ち出したものを、四つ谷駅付近のバーで手渡され、一読後同女にこれを返し、別れ際に、今度は赤坂の秋元事務所に来てくれ、地図は後で届けると告げたこと、(ホ)翌二五日昼頃、被告人西山は、外務省内の同女の執務室において、秋元事務所の所在場所の略図と毎日七時に来て欲しいという趣旨のこととを記した紙を封筒に入れ黙つて手渡したこと、(ヘ)これをみた同女は、何かに追いつめられたような気がしてもうのがれられない、もうだめだという気になり、同日夕刻から、同女は、その指示に従い、毎日のように秋元事務所におもむき、被告人西山と落ち合い、外務省から持ち出した書類を渡すようになり、同月二五日火曜日から二八日金曜日まで連日、次いで被告人西山から「今日も来てくれるな、待つているぞ、たのむ。」との電話連絡をうけたりして、月曜日であつた同月三一日、木曜日であつた六月三日、月曜日であつた同月七日、同月九日水曜、同月一〇日木曜、同月一四日月曜、同月一五日火曜に外務省から持ち出した極秘または秘密の書類をその都度六、七通位ずつ被告人西山に見せていたが、その間蓮見が西山の依頼や指示に対し、これを拒む態度に出たことは一度もなかつたこと、(ト)その間、両名は、六月五日及び一二日の各土曜日には、「ホテル山王」で落ち合い、肉体関係を継続していたこと、(チ)五月下旬、被告人西山がかねてから関心を抱いていた請求権問題を含む沖繩返還交渉が大詰めの段階に入り、これについて同月二八日に愛知外務大臣とマイヤー駐日米国大使との間ほぼで最終的な会談が行なわれる予定であることを知るや、同月二六日ころ、前記秋元事務所において、同女に対し「愛知マイヤー会談の関係文書、特に請求権関係の書類を頼む。」という指示を与え、これに応じた同女は、原判決別紙第一の一〇三四号電信案のリコピーを六月三日秋元事務所で被告人西山に手渡したこと、(リ)六月上旬パリにおいて、愛知外務大臣とロジヤーズ米国国務長官との間で沖繩返還協定につき最終的会談が行なわれる予定であることを知るや、同月七日ころ、前記秋元事務所において、蓮見に対し、「愛知ロジヤーズ会談の関係文書を頼む。」という指示を与え、これに応じた同女が、原判決別紙第三の八七七号来電文のリコピーを同月一二日ころ「ホテル山王」で被告人西山に手渡したこと、(ヌ)右各指示の際、被告人西山としては、蓮見が持ち出してくるのは、両会談の内容を要約記載した発信電案、来電文、その他の参考資料で、いずれも秘密扱いとなるものであることを予想していたと推認されること、(ル)本件では、各しようようの時点においては、その対象となつた秘密文書は存在していなかつたわけであるが、その後存在するに至つた昭和四六年五月二八日付起案及び発信の第一〇三四号電信文案は、愛知マイヤー会談での双方の発言内容の概要が、原判決別紙第一の通り記載されたもので、愛知外務大臣が牛場駐在大使あてに発電するための電信文案であり、外務省アメリカ局第一課長千葉一夫が極秘(無期限)の指定をし、その旨の標記の付されたもの、昭和四六年六月九日受信の第八七七号電信文は愛知ロジヤーズ会談での双方の発信内容の概要が、原判決別紙第三の通り記載されたもので、外務省が駐仏大使から受電した受信文の写しで、駐仏大使が極秘の指定をし、その旨の標記の付されたものであることの各事実を認めることができる。

右(イ)ないし(ト)に述べた状況下においては、(チ)に述べた五月二六日ころ被告人西山が愛知マイヤー会談関係文書を頼むという指示を与えた時点、並びに(リ)に述べた愛知ロジヤーズ会談関係文書を頼むという指示を与えた時点において、被告人西山が与えた影響力により、蓮見が必ず指示に応じ秘密文書を被告人西山の手中にとどけるという状況となり、同女において、指示を受けるたびに改めて、その指示に従うかどうかについて意思決定をする心のゆとりが全く存在していない状態、同女の表現をかりると「どうにも逃げられないという気持」になつており、被告人西山において、同女がこのような状態になつていることを知りながら、各秘密文書の漏示を同女にしようようしたものと優に推認することができるのであり、被告人西山の右(チ)(リ)の各しようよう行為が、当裁判所の示した「そそのかし」の意義についての限定解釈の下での前記そそのかし罪の一そそのかし」に該当するものと認められる。

(2)  国公法一一一条、一〇九条一二号にいう秘密とは、秘密指定権のある公務員により、秘密指定権者以外の公務員に対し、その漏示を禁ずる職務命令としての秘密指定がなされた知識、文書又は物件のうち、同条所定の刑罰をもつて保護するに足りる価値ないし必要性を備えた、いわゆる実質秘であることを要すること、並びに非公知性と秘匿の必要性の有無が、同法一〇九条一二号及び一一一条を適用するにあたり、裁判所の司法審査の対象となるものであることは、いずれも原判示の通りである。

本件各そそのかしの時点において漏示を予想されたと認められる各会談の内容を要約記載した発信電案及び来電文は、条約の締結を目的とする外交交渉の過程で行なわれる会談の具体的内容をその内容とするものであつて、少なくとも調印に至るまでの間その具体的内容を当事国が公開しないという国際的慣行が存在していることは、原判示の通りであり、これが取材記者に漏示されたならば、その内容がそのままスクープ記事として報道される可能性があるうえ、報道機関の善意の配慮により、その内容の骨子が報道されるにとどまる場合においても、その報道内容が直ちに国の内外に知れわたり、それによつて、当該外交交渉に妨害や牽制が加えられること、あるいは、交渉の成行きに利害関係をもつ団体などから政府に対し圧力が加えられて、政府の企図する交渉方針に横車が押されたりすることが考えられるほか、更に、交渉内容が漏示されたことに刺載され、交渉当事者の対立関係が昂まり、それまで保たれていた相互信頼が損なわれ、体面上、率直な発言や、主張の譲歩変更や歩み寄りの柔軟さが失なわれ、ひいては条約の全部または一部の締結が不可能にさえなることがありうる。これらの弊害の存在の可能性に対する配慮から、先進民主主義諸国においても、外交交渉の場における交渉当事者のした発言内容を記載した、外務省と在外公館相互間の電信文は、原則としてひとしく外交秘密に属するものと考えられ、その漏示がなされないようにとの周到な配慮がなされていることは、原審及び当審取り調べの証拠に徴しても明らかなところであり、本件そそのかし行為の時点でその漏示が予想された各電信文が、現実に作成された場合、それらは、外交電信文という形式上も、また条約締結を目的とする外交交渉の会談での交渉当事者の発言内容の要旨を記載したものというその一般的内容上、並びに第一〇三四号電信文案及び第八七七号来電文の記載内容上も極秘の指定がなされるにふさわしいものであり、かつ、刑罰による威嚇をもつて漏示を禁止する必要性、つまり、秘匿の必要性のある文書に当たるものであつて、加えてたとえ、右各会談での議題が公知であつたとしても、右両電文の記載内容である交渉当事者間の発言内容自体が、右各そそのかしの時点は勿論、その漏示の時点においても、いまだ一般に知られていなかつたと認められることは原判決認定の通りであるから、各そそのかしの時点で、その漏示が予想され、かつ、後に存在するに至つた電信文案及び来電文は、仮に、その一部に擬似秘密に当たる事項の記載が含まれているとしても、真正秘密であるその余の記載事項も含まれていることに鑑みれば、国公法一〇九条一二号、一〇〇条にいう秘密に該当するものであると認められる。

(3)  関係証拠を調査してみると、前記の愛知マイヤー会談関係の秘密文書の漏示をそそのかした時点において、被告人が、対米請求権についてなんらかのからくりがない限り、米国側がその支払いを受諾しないであろうとの疑惑を抱き、また、対米請求権問題につき、昭和四六年五月二八日の愛知マイヤー会談で大詰めの話し合いがなされることを予想していたとは認められるのであるが、原審公判廷において、被告人西山が「ごまかしをやるという断定まではいきません。しかし、この実態というものはやはり究明したいということです。」と自認しているごとく、右のそそのかしの段階で、被告人西山において、確実な資料や根拠に基づき、対米請求権の処理についての交渉に関する問題が、擬似秘密であると信ずるに相当の理由を有していたと客観的にも認めるに足りる証拠は存在していない。したがつて、愛知マイヤー会談関係の資料、特に請求権問題のものを頼むと指示した時点において、その秘密の性格についての被告人の認識が前述した要件に該当し、ために、秘密の点においての確定的及び未必的認識が払拭されて国公法一一一条、一〇九条一二号の罪が成立しないと認める余地はないし、更に対米請求権問題に関し被告人のいうからくりなるものが、現憲法機構を瓦解ないし崩潰されるに足りる程重大な違法秘密であるとまでの疑惑を被告人が抱いていた証跡はないうえ、客観的にみても、事柄の性質上、たとえ弁護人主張のようなからくりがあつたとしても、現憲法機構を瓦解ないし崩潰させるに足りる程重大な違法秘密とは到底認められないから、公訴事実中第一の(一)のそそのかしの所為につき、個別的に違法性が阻却される場合に当たると認める余地も存在しないと認められる。

ところで、第一〇三四号電信文案の記載に鑑みれば、被告人が、愛知マイヤー会談に関する第一〇三四号電信文案の写しを入手し、その内容を了読した後においては、対米請求権の問題についての被告人の旧来の疑惑は、単なる疑惑の域を越え、確実な資料情報に基づき、そのからくりを擬似秘密であると信じたことについて、相当な理由があつたと客観的にも肯認される。そこで、愛知ロジヤーズ会談関係の漏示をそそのかした時点において、もしも、被告人西山が、愛知ロジヤーズ会談で、請求権問題についてなされる交渉の内容だけが秘匿されると予想したうえ、右会談での話し会いの内容の要旨が記載される外交電文の漏示をしようようしたのであれば、そのそそのかしに関し、国公法一一一条、一〇九条一二号の罪が「秘密」についての認識の点の欠如を理由に成立しないと考える余地がある。

愛知ロジヤーズ会談の要旨を記載した第八七七号電文要旨をみると、その三項にある請求権問題に関連しての書簡についての話し会いの要旨の記載以外の点としては、その一項に、尖閣諸島問題、その二項に「65」の使途についての解決問題、その四項に、返還協定の発効日問題、その五項に、調印日問題についての記載があるが、三項以外の点について、被告人西山が、右のそそのかしの時点で、交渉内容となること、あるいは、交渉内容となつた場合それが秘匿される事項として秘密文書の内容となりうることを未必的にでも認識していたと認定するに足りる証拠はなく、かえつて、当公廷における被告人西山の供述、昭和四六年六月五日朝日新聞朝刊及び毎日新聞朝刊の各記事、同年六月一八日毎日新聞朝刊中西山記者の記名のある記事によれば、右のパリ会談で懸案として残され交渉がなされると予想されたのは、対米請求の扱い、並びに第八七七号電文に記載のない、那覇空港の完全返還、核ぬきの保障及びVOAの存続の四点であつたことが窺えるのである。そして、被告人西山の昭和四七年四月九日付検察官に対する供述調書一二項中の「一〇三四号電文案のコピーを見て、私の考えていたように日本側が表面は復元補償を要求しながら、裏で米側に譲歩し、三億二千万ドルの中に四〇万ドルを含めて考えるやり方をしようとしているというふうに判断しました。書類中「320」が「316」になるというあたりは対米支払いと復元補償とを関連させて考えている決定的な書類だと思いました。」旨の記載、右六月五日毎日新聞朝刊の記事中「沖繩返還協定の作成交渉は、四日までに……対請求処理問題での若干の調整を除いて、事実上妥結した」旨の記載及び西山記者と記名のある前記毎日新聞の記事中に、「パリの愛知ロジヤーズ会談に持ちこまれたのは、この対米請求権問題だけだつたが、九日を中心に前後数日の交渉内容から推して、果して米側が、この見舞金を本当に支払うのだろうか、という疑惑がつきまとう。」との記載があることに徴すると、被告人西山としては、右のパリ会談関係文書の漏示をそそのかした時点において、請求権問題についてなされる交渉内容が擬似秘密に属するから秘匿されるに違いないと予測し、かつ、予想される四つの議題中、請求権問題についての交渉内容だけが秘密として秘匿されると予想していたのにとどまると窺えるのであり、この認識のもとに、右会談での話し合いの内容の要旨が記載される外交電文の漏示をしようようしたものであるとの疑いを打ち消すに足りる証拠のない以上、そのそそのかしに関し、国公法一一一条、一〇九条一二号の罪が、「秘密」についての認識の点の証明不十分を理由に、罪とならないもいと判断するのほかはない。

三以上述べたように、公訴事実のうち、第一の(一)の「五月二八日の愛知、マイヤー会談関係の秘密書類をもち出してもらいたい」旨しようようした所為は、国公法一一一条、一〇九条一二号にいう公務員が職務上知りえた秘密を漏示することをそそのかしたものに該当し、違法性が阻却される余地もないから、被告人西山はこの点については有罪であるところ、この点についても罪とならないと判断した原判決は、法令の解釈適用を誤つたものであり、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、論旨はこの点に限り、結局理由がある。そして、公訴事実中第一の(一)及び(二)の所為は、包括一罪の関係にあるとして訴追されているものと認められるから、原判決中、被告人西山に関する部分は、全部破棄を免れない。

よつて刑訴法三九七条、三八〇条により、原判決中、被告人西山に関する部分を破棄し、同法四〇〇条但書により、被告人西山についての被告事件につき更に判決することとする。

四(1)  罪となるべき事実

被告人西山は、毎日新聞社東京本社編集局政治部に勤務し、昭和四六年二月から昭和四七年二月までの間外務省担当記者であつた者、原審相被告人蓮見喜久子は、外務事務官として同四五年七月から外務省外務審議官室に勤務し、外務審議官安川壮に配付または回付される文書の授受及び保管の職務を担当し、右文書の内容を了知し得る立場にあつた者であるが、同四六年五月一八日従前それほど親交のあつたわけでもない蓮見と一夕酒食を共にしたうえ肉体関係を結んだ被告人西山は、肉体関係ができたので頼めば役所の書類を見せてもらえるのではないかと考え、同月二二日東京都渋谷区松濤一丁目四番所在の「ホテル山王」に誘つて再び肉体関係をもつた直後、「取材に困つている、助けると思つて安川審議官のところに来る書類を見せてくれ。君や外務省には絶体に迷惑をかけない。特に沖繩関係の秘密文書を頼む。」という趣旨の依頼をして懇願し、一応同女にこれを受諾させたうえ、同月二四日「たのむぞ。何んとかしてくれ、ニユーオータニの玄関で待つている。」と連絡し、同日夕刻、安川審議官あてに回付された書類のうち基地リストを含む沖繩関係の秘密書類の提供を受けたが、別れ際に、今度は赤坂の秋元事務所に来てくれ、地図は後でとどけると告げ、翌二五日所在場所の略図と毎日七時に来てほしいという趣旨とを書いたものを渡し、同女をして、その指示により、同日夕刻から同所で落ち合つては同女が外務省から持ち出した書類を渡すことを日課とさせていたところ、

被告人西山は、同月二六日ころ、その与えた影響力により、同女が改めてその指示に従うかどうかにつき意思決定をするゆとりのない状態になつていることを知りながら、この状態を利用し、同都港区赤坂三丁目一八番二号所在の第一、三州ビル内の秋元政策研究所事務所において、同女に対し「五月二八日愛知外務大臣とマイヤー大使とが請求権問題で会談するので、その関係書類を持ち出してもらいたい。」旨申し向け、もつて蓮見が職務上知ることのできた秘密を漏らすことをそそのかしたものである。

(2)  証拠の標目

一、秘密保全に関する規則(昭和四五年外務省訓令第五号)(昭和四六年七月一七日改正前のもの)

一、末岡日出徳の司法警察員に対する供述調書

一、同人の検察官に対する昭和四七年四月一二日付供述調書

一、安川壮の司法警察員に対する供述調書

一、同人の検察官に対する供述調書

一、押収にかかる外務省第一〇三四号電信案

一、蓮見喜久子の検察官に対する供述調書(昭和四七年四月八日付、同月一二日付<二九枚のもの>、昭和五一年三月九日付<寺田喜久子名儀のもの>)三通

一、被告人西山の検察官に対する供述調書(昭和四七年四月九日付、同月一三日付)二通

一、原審第三回及び第一一回公判における証人松永信雄の供述記載

一、原審第四回公判における証人吉野丈六の供述記載

一、原審第一一回及び第一四回公判における蓮見喜久子の供述記載

一、原審第一四回公判における被告人西山の供述記載

一、当審における被告人西山の供述

(3)  法令の適用

被告人の判示所為は、国公法一一一条、一〇九条、一二号、一〇〇条一項前段に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役四月に処し、情状により刑法二五条一項を適用して、この裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予することとし、刑訴法一八一条一項本文により原審及び当審における訴訟費用の二分の一を被告人に負担させることとする。

なお本件公訴事実中第一の(二)の点のうち、「条約関係の秘密書類を持ち出してもらいたい旨の指示をした」との点については、原判示の通り、その証明が不十分であるし、また「愛知ロジヤーズ会談の秘密書類を持ち出してもらいたい旨の指示をして秘密漏示をそそのかした」との点については、前記のごとく、「秘密」の認識の点につき証明不十分で、ともに罪とならないと認められ、この点の論旨は結局理由がないことに帰するところ、本件公訴事実は第一の(一)、(二)が包括一罪として訴追されているものであるから、公訴事実第一の(二)の点について、主文で控訴棄却の言い渡しをしないこととする。

(4)  刑訴法三三五条二項の判断

本件の罪となるべき事実欄掲記の犯罪事実について、正当業務行為として違法性が阻却されないことについては、既に判断を示した通りである。

よつて、主文の通り判決する。

(木梨節夫 時岡康夫 奥村誠)

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